番号・名称 年 代   構造等
004 高知城
  懐徳館
寛延2年
(1749) 
上段の間、二の間、三の間、四の間、納戸、三畳二室、雪隠、入側、板間及び縁側より成る、一重、入母屋造、本瓦葺、溜の間及び玄関附属する
特徴等
慶長6年(1601)、関ヶ原の戦いで功績を認められた山内一豊が土佐に入国し、高知城の築城を開始、慶長16年(1611)にほぼ全城郭が完成した。享保12年(1727)の大火によって追手門を残してほとんどが焼失、現在の建物はその後再建されたもので、25年の歳月をかけて宝暦3年(1753)に全体の復興がほぼ完了した。その後、明治維新に廃城となり、本丸の建築群と追手門を除くすべての建物が取り壊された。現存しているのは天守など15棟の建造物で、いずれも重要文化財に指定されている。本丸には天守のほか、懐徳館 (本丸御殿) 、納戸蔵、東多聞、西多聞、廊下門、黒鉄門、詰門などの建造物が残っている。
懐徳館 (かいとくかん) は本丸御殿で、正殿、溜ノ場及び玄関から成り、天守の南西角を囲むように建っている。正殿には一段高くした上段ノ間、その西側には武者隠しがあり、2ヵ所に天守への通路が設けられている。
参考資料:高知城案内リーフレット/国指定文化財等DB(文化庁)/高知市HP
2019-12-26
       
       
       
       
高知城懐徳館 (撮影:2011-1) 高知城懐徳館 (撮影:2011-1)
リストに戻る
高知城懐徳館 (撮影:2011-1) 高知城懐徳館 (撮影:2011-1)
リストに戻る
    高知県の重要文化財建造物          2017-11-24 現在